徳川家康は、慶長5年(1600年)7月24日、上杉景勝を討伐するために会津に向かっていた途上、下野国小山に本陣を置きました。ここで石田三成が家康を打倒するための兵を挙げたことを知ります。翌25日、「このまま上杉を討つべきか、反転して石田を討つべきか」を質したこの軍議が後に東軍に結束をもたらすことになる「小山評定」です。「天か分け目の小山評定」だったとまで言われています。 昨年、大河ドラマ「真田丸」で小山評定が放映されると、市役所の跡地前で市民らによる再現劇が行われ、“開運のまちおやま”を市民らが盛り上げました。 現在、小山市ではこの小山評定をPRするために、市の会議を評定と呼びかえる試みを始めているとのことです。 |
記・2017年5月 |