LESSON35

口腔リハビリテーション科での出会い

先生方もご承知でしょうが、近年「上手く食べられない」「上手く飲み込めない」子どもが増えています。私の診療室でも、他に障害は見当たらないが摂食・嚥下に問題を持つ 子供のケースを診てきました。今回のお話は、機会あって母校の口腔リハビリテーション科を見学させてもらった時の出来事です。

その日、大学病院の待合室は脳梗塞の後遺症などでリハビリを受ける年輩者で混雑していました。診療終了間際に、一組の親子が入ってきました。お母さんと4歳くらいの男の子 で、彼は待合室の入口で『こんにちは』の手話をしていました。そのかわいらしい仕草に、「私、手話少しわかります」とお母さんに声を掛けてしまいました。お話しを聞くと、彼 はろう者で弱視も併せ持つため、至近距離で表現される手話を読み取り、自らは手話で表現します。手話は神奈川県で教わっているそうです。

診療が始まると前回おこなった治療のつらい思い出が蘇ったのか、苦痛の表情を浮かべたり、お母さんに『(友達の)○○君が言ってたよ・・・』と語りかけて気を引いたりと抵抗 してみせました。しかし、診療が進むと雰囲気に慣れてきて、最後に嚥下補助床がセットされると、口角が引き締まり、表情が勇ましくなりました。

一点気にかかったことがあります。 それは、診療中、病院スタッフからのガイダンスは全て音声のみで、時々お母さんから片言の手話通訳が入るくらいでした。私は見学させていただいている身の上ですし、また、手話 も通訳できるほどの技量もありませんので大人しくしていました。就学前の幼児の場合、ボキャブラリーも少なく、例えば小児歯科で言えば、金属冠を歯に入れて「高い?」と尋ねて も、幼児に『高いとは冠が入った歯だけが上下で強く噛み合い、他の歯が上下でしっかり噛み合わないことである』という知識がなければ通じない。手話も意味と一致しているのか 確認しなければならない。「うん」と頷いたらOKではないのである。

やっと診療が終わり彼と直接話せる時間が持てました。彼は私に手話で『家』・『電車』と表現してきました。「僕は家に電車で帰るんだよ」と言いたいのか、「あなたは家から 電車で来たの?」と聞かれているのかわからず、私は「僕は車と電車で来たんだよ」という『私』・『車』・『電車』『来る』と手話で返しました。彼はきょとんとした顔をしたまで でした。そして私は、彼にオーバーを着せて、かばんを背負わせてあげたものの、まだ彼との距離を感じていました。

彼が次に会う時まで私のことを憶えてくれていたら嬉しいな、 その時私は彼のために何ができるかなと考えを巡らせていました。せめて、勇気を振り絞って『こんにちは』と入ってきた彼に『こんにちは』と言ってあげられるようにスタッフに お願いしておこうかなと・・・。






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