LESSON5

ある聴覚障害者の手記

今回は聴覚障害者(ろう者)の青年Kさんの手記を転載します。ご本人のご了承の上文章を一部手直ししています。

『私の歯科治療体験記』
私は生まれてから耳が聞こえなくなった。原因はわからない。補聴器をつけて音は聞こえるが(「ことば」として)、声を判別することは できない。まぁ、それでもなんとかやっていけるけれど、周りの人が注意してくれればより快適になると思う。

私の歯科治療体験としては、幼い時のこと。虫歯がものすごく痛くて痛くて大泣き!そんなことがあった。すぐに、母と近くの歯科医院 へ行った。母が受付で何か話をしただけですぐにそこを出た。私は子供ながらにお客さんがたくさんいたから別の歯科医院へ行くのだろうと 思った。次に、二軒目の歯科医院へ移動し、また、母が受付で話をしただけ。次に、三軒目の歯科医院へ移動・・・。私は痛くて痛くて、大泣き し続けるばかり。横で母はものすごく困った顔をしていた。私は泣きながら「なんで診てくれないのだろう?」という疑問がこみ上げてきた。 その時は母からは何の説明もなかった(幼すぎて説明しても分からないとは思うが・・・)。

私と母は仕方なく自宅へ戻って、電話帳に載っている歯科医院に片っ端から電話した。何時間位経ったのだろうか?母がようやく診てくれ る歯科医院を見みつけたらしく、そこへ行くことになった。そして、自宅から約一時間もかけて到着、私はようやく治療してもらうこととなった。

初めて母にあの時のことを尋ねたのは、それから数年経ってだった。小学生になってもわざわざ約一時間かかるあの歯科医院へ行っていた。 あのころの疑問を思い出し、母に聞いてみた。「なんでわざわざ遠いところにある歯科医院に行くの?近いところもあるのに?」そこで初めて 私は真実を知った!

私が幼い上に耳が不自由なので、「対応の仕方がわからない」と言われて、何軒もの歯科医院から治療を断られたのであった。最後に引き受 けてくれた歯医者は足に障害を持った人で、障害は違うけれど、自ら健常者と障害者の壁を知っているので、快く治療を引き受けたのだ。まさか ・・・幼い私にはわからなかった。

昔は、手話通訳者はいなかった。もしいたとしても幼いろう者の私には通訳者と手話は通じることはなかっただろう。まして、ろう者に接し たことのない歯医者が対応に困るだろう。しかし、「対応の仕方がわからない」=「治療を断る」っていうのも冷たくはないか?幼い私にはショ ックだった。引き受けなかったのは言葉の違いからなのか?コミュニケーション方法が分からないからなのか?更に疑問が膨らんだ。

最近は映画、ドラマなどで手話が認知されてきたが、健聴者が手話だけを取得すればいいのか?手話を覚えればコミュニケーションできるの か?それも、大切なことではあるが、医療関係者にはもっと心と心の会話をしてほしい。

「どんな障害者にも障害のない人と同じように対応してほしい!」それが私からのお願いです。



私は手話の活動の中で彼と知り合いました。Kさんは自分の意見をはっきり主張できる方で、医療現場におけるろう者への接し方をアドバイス してもらうことがあります。Kさんから、よく私たちは「ちょっとお待ちください」と言いますが、これをそのまま手話単語を並べて『少し』+ 『待つ』と表現すると誤解を生むという指摘を受けました。つまり、「待つのは少しなのだ」と理解されてしまい、結果的に「すごく待たされた」 ということになります。前回のワンポイント手話書いた『しばらく』+『待つ』にはもう少し時間的な余裕が感じられるのでこちらを使うか、 「何分くらい待つのか」という具体的な時間を示しましょう。医療従事者としては、「できる限り急いで対応している」という気持ちからの発言 であって悪意はなくても、患者さんに要らぬストレスを与えることがあるという事例です。

Kさんの体験記の中にあった、治療を断るという行為は医療者責任の観点では非難されることばかりではありませんが、もしお断りするのであ れば、断ることで終らせてはいけないと痛感しました。その為には、同業者間のまたは異業種間とのネットワーク作りが不可欠なのではないでし ょうか。今後の大きな課題を提示していただきました。






「心配いらない」
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