2008年 年頭所感

会長・戸村光宏



あけましておめでとうございます。

年もあらたまり、身も心も新たな一年に向けて、お互いにがんばりましょう。

「そんなこと言われても、何をどのようにがんばればいいのか」と、反問される方もおられるでしょうね。そこで私は、「何事もできるだけわかりやすく 説明できるよう」がんばることを提案いたします。

私たち医療者の言葉を、患者・家族は十分に理解しているのでしょうか。医療者は、十分に説明したつもりでいても、患者側にはよく伝わっていなかったり、 場合によっては正反対に理解していたりすることがよくあります。これは、医療者とそうでない人々との間に、基本的な人体の構造、生理・病理学的な知識差が、 圧倒的に大きいからです。医療者が、自身の頭の中に具体的なイメージを描いて説明を十分にしたとしても、相手にそのイメージが必ずしも伝わるとは限らない のです。伝えられたイメージを描くはずの相手方のキャンパスには、あらかじめ間違った下絵が描かれていることがあるからです。そこでは説明者の意図は捻じ 曲げられるのです。このようなキャンパスには正しい下絵に直してもらう作業から始めなければならないでしょう。臨床の場において、時間的制約がある中、こ のような作業には医療者の「がんばり」が不可欠となります。

今、福島県立大野病院事件の裁判が行われています。検察は「胎盤を子宮から剥離することに伴う大量出血による女性の生命の危険を回避すべき注意義務があ るのに、胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行せず、クーパーを用いて漫然と胎盤の癒着部分を剥離した過失により、胎盤剥離面からの大量出血により女性を 失血死させた」という主張をしています。業務上過失致死罪で大野病院の産婦人科医師が逮捕起訴された事例です。この事件は、産婦人科医ばかりでなく全ての医 学会にとって衝撃的なことでしたが、裁判が進むにつれ、この起訴自体が、検察側の無知によるものであることが、明白になりつつあります。昨年4月5日付で、協 会は福島県の検察、地方裁判所や地元紙に「不当起訴を取り下げるべき」という文書を送付しています

2007年11月の第10回公判で池ノ上克・宮崎大産婦人科教授が、子宮を収縮させないと止血が難しいこと、胎盤があると子宮が収縮しないこと、そのためには胎盤 剥離を途中で止めることはないこと、はやく剥離するためにはクーパーをへらのようにして使うことも認められること(当初警察はクーパーで切断したと認識してい たようだ)、死因はDICによると考えるのが妥当であることを理路整然と証言されました。この裁判を傍聴しているロハス・メディカルブログ(インターネットで公開 されています)には次のように記載されています。

《(医師ではない)私は知らなかった。胎盤を剥がした後の子宮が傷をつけなくても一分間に500cc出血する臓器であるということを。おそらく多くの方が同じでないか。 検察の見立ても、大量に出血したからには傷をつけたに違いないというものであっただろう。医療者にとっては常識なのかもしれないが誰かが最初からそのこと を説 明してくれていれば話がここまでややこしくなることもなかっただろうと思うのである。検察側も、自分たちの見立てが根本からナンセンスであることに間違いなく気 づいたと思う。》

そして、《やはり医師の方々も一般人への説明の仕方のトレーニングが必要かもしれない》と感想を述べておりました。

警察や検察官、あるいは裁判官の頭の中に描かれている医療問題に対する下絵はたぶん、医療者から見ると歪んだものであるだろうと推測されます。

さて、2007年12月に学習到達度調査が公表され、このなかで、日本の15歳の読解力が特に低下していることが明らかにされました。調査によりますと、「日本の生徒 の読解力は大きく低下しており、特に6段階に分けられた習熟度レベルで最も低いカテゴリーの割合は、加盟国平均よりも高く、また、自由記述式では、何も解答しない 生徒が4割に上った」ということです。私たちからすると、ゆゆしき問題です。治療方針について文書を作成して患者・家族に手渡しても、理解してもらえる保証はない ということです。これからは、今まで以上に専門用語をできるだけ使用せず、うまく理解していただけるような工夫が必要な時代になるということを胆に銘じておきましょう。

栃木保険医新聞2008年新年号・年頭所感