むかさり絵馬の世界を行く

きり絵と文 天谷静雄(宇都宮市)



「むかさり絵馬」と私の出会いは今から三十数年前、山寺立石寺に登った時のことだ。奥の院にたどりついて後生車という回転板のついた卒塔婆の林立を眺めただけでもこの世ならぬ 冥界に来たよう。奥の院の暗がりにはめでたい結婚の様子を描いた絵馬がかかっていて、奇異な感に打たれたものであったが、それは戦死した若者の供養のために奉納されたものであると 後で知った。

さてこの夏は、義父の墓参のついでに「むかさり絵馬」のメッカとされる若松観音を訪れてみた。花笠おどりで「めでためでたの若松様よ」という若松様こそここを指し、縁結びの御 利益もあるとのこと。最上三十三観音の第一番札所で、将棋と温泉街で有名な山形県天童市にある。何となく天童市街の平地にあるのかと思っていたら、さにあらず、山をどんどん上がっ たところの高台にある天台宗の古刹だった。室町時代建立の本堂は大きくそびえ立っている。今回の訪問の主目的はこの本堂にあるのではなく、傍らにある絵馬堂の方にあるので、すぐに そちらへ回る。

そこには結婚式ないし新郎新婦を描いた沢山の絵馬が奉納されている。案内板によれば、山形弁では結婚する、ないし嫁ぐことを「むかさる」と言う。それら「むかさり絵馬」はゆえあ って独身のまま他界した子供があの世で幸せな結婚をしている様子を親や親戚が想像して描き奉納したものだと言うことだ。見れば大正、戦前あたりのものが多い。軍服姿の新郎も見えるが これは戦死者の供養のためだろう。兄弟で合同のむかさりもあったが、お二人ともそろってニューギニアで戦死とある。五歳くらいの幼児の頭をのっけた合成写真もあった。

世に「死児の齢を数える」という言葉はあり、それはいかにも未練たらしい話だが、私の身近にも愛する子供を不慮の事故で失った親たちはおられる。そのような親の気持ちに寄り添うと、 このような行為も是認され理解されるものかと思う。本坊にはもっと沢山の絵馬が飾られているとのことだが、見ないでしまった。ちょうど、それらしき娘と母親が本坊で祈祷を受けている背 中を遠目に見てそこを立ち去った。

それからさらに足をのばして、最上三十三観音十九番札所の黒鳥観音と、二十番札所の小松沢観音を訪れてみた。黒鳥観音は天童市のすぐ北隣の東根市にある。そこは山の中腹にある小堂で、 荒れ果てた山門には仁王像の代わりに自転車が置いてあった。しかし常にくる参拝客のために堂守はおり、堂前の粗末な小屋におばさんが一人座っていた。蒼古たる趣の堂内をのぞいて見たら、 天井と言わず壁と言わずびっしりとむかさり絵馬が飾られていて度肝を抜かれた。天井に貼られている絵馬は明治や大正のもので、中には破れてしまっているものもある。

そこで堂守のおばさんに声かけて、これら絵馬の奉納者について聞いてみた。おばさんの話しによれば、故人が結婚適齢期に達した時に親や親族があげるのが普通だが、最近では奉納者が気 の向いた時にあげることもある。それには昔からこの地方にいるオナカマとよばれる巫女が深く関わっていて、例えば一家に不幸がうち続いた場合に、何世代も前の某があの世で独り身で寂しが っておるぞよ、みたいな占いを授けて奉納を推奨することもあるそうだ。つまり、このむかさり絵馬は死者を悼み偲ぶ本来の趣旨と同時に、今生きている人達の現世利益のために行うという趣旨 も含まれているらしい。そのことも含めて「めでた、めでた」と言うわけだ。聞いているうちにこのおばさんもオナカマの一人ではないかと思えてきたが、その点は聞かないでしまった。

それからりんご畑とレトロな雰囲気の東根市街を突き抜けてさらに北に走り、山沿いに開けた町の村山市に来る。小松沢観音も若松観音のように細いくねくね道を登った山の中腹にあり。便の よい裏参道から入ったら、そこは深い木立に囲まれた谷あいのなかなか趣のある境内だった。里人の奉納した大わらじのかかった山門の両側には、古びてよたった姿の仁王像が立っている。蜂が 巣をつくっているのか「みつばちに気を付けてください」との貼り紙があり、仁王よりもこちらがこわいと思った。堂内に入ると、前後左右いたる所にむかさり絵馬が貼り付けてあり、まるで児 童画のコンクールのようで賑やかだ。可愛らしい押し絵馬の傑作もあり。スーツ姿の新郎新婦が仲良く土手を歩いている青春映画のスチール写真みたいなものもあったが、青空に「戦死」と書か れてあった。

とにかく堂内に充満するミステリパワーには圧倒された。そして現世と冥界の区別がつかなくなり、なんとも不可思議で不気味な思いに囚われる。しかし、これも山形人の素朴な人情ゆえの ことか。ああ、よい見物をしたと思った。そのうち、さっき黒鳥観音で出会った初老の男女の一行も現れて挨拶を交わし、やっと現世に舞い戻った気がした。

思うに、山形というのは不思議な所で、ちょっと奥へ入り込むとこのようなノスタルジーとファンタジーのベールに包まれた風物が残っている。雪国ながら参詣者に便利なように、こんな山 奥にまで舗装道路がつけられている。そこが、いかにも山形らしい。私は今回、むかさり絵馬の世界を垣間見て、迷信ながら本当の篤い信仰の行き先はこのようなところにあるものかと思い知ら された。さらにバーチャルな結婚式は絵馬の中だけでよい。無念の戦死を遂げられた人々の供養のためにこそ世界平和を叫ばなければ、との思いを新たにした旅とはなった。

栃木保険医新聞2008年8月号・投稿