船で日本一周

大根田紳(宇都宮市)



2008年、9月17日(水)午後二時。富士丸は出航した。秋の日本一周クルーズの始まりである。船は、これから7つの港めぐりをして、 寄港地の観光をすることになった。船はゆっくり、横浜港を出発した。他の乗物に比べて長閑な感じがする。次の寄港地は仙台だった。 松島・五大堂・瑞巌寺(伊達政宗の菩提寺)・塩釜神を三時間かけた。よく知られた所なので内容は省くが、寺で靴が失くなった騒ぎが、 別の団体であったが、間もなく解決した。間違ったらしい。

19日(金)午前8時、函館港。約三時間半かけて、函館山・ハリストス正教会、旧函館区公会堂・外人墓地を歩いた。この中の一つ、 その正教会は、1858年に建てられたのだそうである。

北海道とは言え、好天に恵まれ、秋の日差しは割りに強く、歩いてへばった。函館山は標高334メートル、臥牛山とも呼ばれているが、 函館市街を見下ろしている。

9月20日(土)午後〇時半、金沢港。津軽海峡から日本海に抜け、秋田、山形、新潟と、ずっと通過して来たので、時間を要したと思 われる。ここでは、約五時間かけて、五箇山集落(1995年に世界文化遺産に登録された合掌造りの集落)・東茶屋街散策であった。

9月21日(日)午前七時半、舞鶴港。金沢から近いせいか、昨夕出航したのに、朝早く着岸。

ここでは、天の橋立と舞鶴引揚記念館に約四時間かけた。1958年9月7日の最終船まで、ソ連・中国などから13年間に66万万3千人以上が、 ここに引き上げて来たという。

9月22日(月)午前10時、唐津港。

柳川の川下り、吉野ヶ里遺跡見学・虹の松原が、観光スポット。

どんこ船で下る城下町、柳川の風景。広大な敷地に点在する吉野ヶ里の遺跡群。柳川の料亭で、うなぎ定食を昼に摂り、スタミナを付けた とは言え、朝から夕方まで約七時間の強行軍に、疲労が貯まって来た。船は、玄海灘から関門海峡を通り、瀬戸内海に入り広島港。

高速船で、宮島・厳島神社、それからフェリーとバスで広島市内へ。この日は9月23日(火)。

これで、日本三景を全部観光したことになった。平和祈念公園は、あまりにも有名であり、その惨状は永久に人の心を打つであろう。朝早く から約五時間だったが、乗物に乗っている時間が割合に長かったので、疲労はそれほどでも。



9月24日(水)午前7時。宿毛。豊後水道を通って四国の突端に来た。足摺岬の謂れを聞き、ジョン万次郎(幕末、漂流してアメリカに渡り、 のち帰国して幕臣として活躍した)の像を仰ぎ見て、展望台、灯台のところから遥かに、太平洋の彼方を眺めた。ああ、凶刀に倒れた幕末の尊 皇攘夷派の志士―坂本竜馬が思い出される。

竜馬は万次郎によって、海外事情に目を開かされたのである。

その後、四万十川下りをした。日本最後の清流と言われるだけのことはある。所要時間五時間半。

最後の寄港地観光を終えて、旅の終わりの横浜港へ。9月25日(木)午後4時に着いた。

総航海距離は、217万マイルであった。約4,030キロメートル。ここで船内のことに触れておくと、朝早くモーニング・ウォークを15分くらい する人達もいたり、午前9時頃から1時間くらいダンスをする人々もいた。

その他にもいろいろなイベントがあったが、船内の行事にはあまり参加しなかった。それは、寄港地観光に連日参加して、余裕が少なくなっ ていたから。

乗船して翌18日、午後六時半から、船長さんのウェルカム・パーティーが開かれた時には、広い食堂は、身嗜みある淑女や威儀を正した丈夫 達で溢れた。ただし、メニューに記載されていないアルコール飲料は個人負担であった。

以上、思いつくままに書き記したが、もし、お気に召さない点があれば、お許しあれ。

栃木保険医新聞2009年新年号・投稿