「信州の鎌倉」と無言館を訪ねて

宇都宮市・天谷静雄



それは3月8日、不慮の事故に倒れたK医師(52歳)の慰霊に始まった旅行であった。

彼の働いた診療所は上田市郊外の千曲川べりにある。15年位前に当地に赴任して持ち前の 開拓者精神で立派な医療生協の組織を築き上げてきた功労者だけに急逝が惜しまれる。

千曲川の対岸は「信州の鎌倉」の別名で呼ばれる塩田平だ。まず別所温泉近くの古刹安楽寺 に立つ国宝の八角三重塔を見学した。ほたて貝を4枚重ねたようなユニークな姿の古塔に、塩 田北条氏の支配した「鎌倉」を感じた。

寺の入り口付近には「山本宣治記念碑」があり、これは1929年3月1日、上小農民組合の招き で山宣が講演し、そのわずか4日後に右翼のテロによって倒れたことを記念して建てられたと 言う。当時労農党代議士として迫りくるファシズムに体をはってたたかったその生涯は「山宣 一人、孤塁を守る」の言葉で知られる。知人のタカクラテルの借家に立てられ、官憲によって 取り壊しが命じられたが、密かに庭石として埋められて38年間守り通されてきたとのこと。碑 の上部にはラテン語の横書きで「生命は短し、科学は長し」と刻みつけてあった。

それから温泉街の中にある北向き観音に参拝し、「愛染かつら」の巨木を見上げた。「大師 の湯」で入湯もした。それからのどかな田園風景の中を走って独鈷山の中腹にある前山寺 に来た。山門を入ると正面高い所に三重塔がり、なるほど屋根の反りの美しい可愛らしい塔 だと思う。作りかけで塩田北条氏が去ったらしく、「未完成の完成塔」と呼ばれている。

それから尾根道を歩いて向かいの丘の上にある無言館を見学した。戦没画学生が愛する妻や 家族を描いた作品があり、家族宛てに悲壮な心境を綴った手紙の内容にも心打たれた。中でも 目に止まった一点の作品は栃木県出身の伊沢洋(享年26歳)が描いた「風景」であり、それは 鉛色の曇り空、右手から厚く覆いかぶさるような林の下、遠景に光る湖沼に向かって一本の道 が伸びているという何とも憂うつな絵だった。

写真を見てもみな普通の青年の顔なのだが、時計を逆戻りさせると60、70年前の暗い谷間の 時代に突き当たる。一体、この哀しみと怒りを誰にぶつけたらよいのだろうか。私は出口に備え つけられたノートに「憲法九条守れ。戦争は二度とくりかえさせない」と書きつけてきた。

そこからは塩田平の眺めがよく、山桜が咲き鶯も鳴いている。「信州の春」を感じさせる のどかな風景の向こうにしのび寄る戦争の暗い影を考え、反戦平和への決意を新たにした旅となった。

妻と日帰りのドライブ旅だったが、途中、海野宿の伝統的建造物保存地区にも立ち寄り、うまい おそばとくるみもちも食べられた。また行こうと思った。

栃木保険医新聞2005年5月号・投稿