東仙台に井上ひさし文学のルーツを探る旅

文・きり絵 天谷静雄(宇都宮市)



 作家の井上ひさしは山形生まれの仙台育ちであり、父親に早く死なれ、東北各地を放浪の末、 15歳で仙台市郊外にあるカトリック系の孤児院に預けられた。そこから名門仙台一高に通い、 多感な四年間を仙台で過ごすことになる。少年時代お世話になった仙台への恩返しのつもりか、 仙台文学館長を勤めているが、文学館を訪れても井上の面影はほとんど無い。そこで今回は井上文学の ルーツとなった孤児院を訪ねてみた。

 仙台駅から東北線下りで1つ目、東仙台駅で下車すると、目指すラサールホームのある松山は 目と鼻の先だ。麓に彼の通学した東仙台中もあり、急な坂道を登ると少々息切れがする。ホームの 入り口には本を読む少年とそれを見守る神父の立像。事務所の前には教団を開いたフランス人聖 ラサールの胸像。右奥の施設の壁の前には聖母マリアの立像があった。元外国人捕虜収容所と木工 工場があったと言われる敷地は周囲に宅地化が進んでいて意外と狭い。北側のグランドべりに続く 階段を登ると松山のてっぺんに到達し、そこで風に吹かれてぼんやり周囲の風景を眺めてきた。  そこから西に少々下ったところには光ヶ丘スペルマン病院があり、ホスピスも備えた立派な病院だ。 階上には両手を広げたキリスト像あり。病院敷地に隣接して十字架を立てた東仙台教会やとんがり屋根の 司祭の家も見られる。井上は当時、受洗した理由として「神を信じたからではなく、神を信じる外国人 修道士を信じたせい」と語っているが、カナダに本部のある教団がわざわざここまで来て、と今は神秘と 畏敬の念に駆られた。

 井上の自伝的小説「四十一番の少年」はこの孤児院に入っての苦労と、同室の先輩が自らの人生 設計に基づいて悪事を働き自滅する様が描かれている。私は現地を踏査して、誘拐した少年を運ぶ丸木舟を 浮かべられる川は実際には存在せず、ましてやその流れが下流で仙台中心部を貫き流れると言うのは全くの 虚構だと分かり、ほっとした。そのテーマは神と悪魔のたたかいであり、井上少年の心に吹き荒れた嵐と 近似する。ほかに「汚点(しみ)」という作品には、県外のラーメン屋でこき使われる弟を引き取る話。 「あくる朝の蝉」という作品には、施設脱出を夢見て山形県川西町にある父の実家に夏休み泊まりに行くが すげなく追い返される話が出ていてせつない。

 井上は神父の厚意でその後、上智大に進み、休学して一時、医者を目指したこともあったが失敗。 浅草のフランス座に入座して脚本家としての道を歩む。かくて彼の文学はパロディとユーモア精神に富んだ 作風となる。それはまた浅草のストリップと併演された笑劇の伝統を、あるいは江戸時代の黄表紙作品群の 伝統を受け継いで、すぐれて庶民的で且つ反権力的だ。のちのミニ独立国ブームを巻き起こした「吉里吉里人」 のように地方が中央を笑い飛ばすというユニークな長編小説もある。私はかねて井上の多読と「言葉の魔術師」 としての文才に脱帽しているものだが、こう言う作家がみちのく仙台を土壌に育ってきていることは嬉しい。

 ちなみに地元で愛読される井上の作品には「青葉繁れる」があり、こちらは東北一の名門仙台一高を舞台に 悪ガキ五人組を中心にした青春痛快劇が描かれ、進駐軍キャンプも置かれていた頃の古き佳き仙台をほうふつと させる。実はここにも三流が一流を笑うというテーマが隠されている。ご多分にもれず、女子高との交流の場面 もあり、憧れの美少女が登場する。そのモデルつまり井上にとっての永遠のマドンナが後の女優の若尾文子だと 言うのは知る人ぞ知る話だ。

 そんなことをしみじみ考えながら、仙石線で松島海岸まで行こうと苦竹駅まで歩いてきたが、ああ時代も 変われば変わるものだ。そこにかつて存在し、いかにも仙台の場末の雰囲気をかもし出していたストリップ劇場は 今は無し。高層マンションやボーリング場が立ち並ぶ近代的な風景に変わっていた。

栃木保険医新聞2011年1月号・投稿