啄木の人生最期の三年間をたどる

文と切り絵 天谷静雄(宇都宮市)


ふるさとの訛なつかし停車場の啄木

井上ひさし作の戯曲「泣き虫なまいき石川啄木」は本郷弓町喜之床二階の六畳二間に於ける啄木一家の家庭劇を描いている。 それは貧困と病気にさいなまれる「実人生の白兵戦」を描くことが主調だが、その中に実は妻節子と函館に住む友人宮崎郁雨との 不貞の疑惑が盛られている。井上自身、妻の不倫と離婚騒動の中でこの脚本を書いた。劇中の啄木には作者自身が乗り移っている と見てよい。読者は、そのためのトリックやフィクションもあることを念頭に置かなければいけない。しかし私もいつか劇中の人 となり、この啄木一家の寓居跡へ出かけてみないわけには行かなくなった。

本郷三丁目の角には「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳で言われる「かねやす」の店があり。そこから少し西方に歩いた ところに啄木一家が間借りした喜之床跡の理容室アライがある。四階建ての小さなビルだが、南北幅はとても六畳二間を包めるほど ではない。多分、春日通りの拡幅によりつづめられたものだろう。店の壁には簡単な案内板があり、明治末年に啄木一家がここに住 んだと記されてあった。歌集「一握りの砂」の題言に言う長男真一が生まれ、生後一か月で死んだのもこの家であった。啄木は銀座 にある東京朝日新聞社の校正係の仕事から夜遅く帰宅後にそのことを知ったのであった。「おそ秋の空気を/三尺四方ばかり/吸ひ てわが児の死にゆきしかな」の歌もある。

戯曲にも著されているようにその当時のパトロンは言語学者で同郷の友人の金田一京助であり、この人にはさんざん迷惑をかけた。 そのために「一握の砂」の献呈者に宮崎郁雨とともに挙げられたが、礼状すらよこされていない。郁雨に言わせれば、社会主義者を気 取った啄木は家にあっては暴君めいて妻節子にとって決してよい夫ではなかった。節子はただひたすら夫の才能の開花を信じて疑わな かった。節子の妹をもらって啄木と義兄弟になった郁雨はそういう義姉が不憫で同情がいつしか淡い恋心に変わった。しかし決して他 人に後ろ指を指されるようなことは無かったと言う。

明治四十三年、幸徳秋水ら社会主義者を弾圧、死刑に追いやった大逆事件の報に接して弁護士である友人平出修から裁判資料を借り て熟読し、社会主義思想に目覚めたのもこの家であった。自分の出世のためには他人を犠牲にしても顧みないエゴイストであった啄木は 貧苦にあえぐ中で、一庶民としての境地に達し時代を厳しく科学する目を持った。それが文芸評論「時代閉塞の現状」であり、当時流行 の自然主義文学が社会の矛盾に目を閉ざして私小説に堕していることを鋭く批判している。新聞掲載を意識した原稿だが、あまりに革新 的な中身のために陽の目を見なかったと言う。

さてその頃の町並みはとあたりを見回すと道路の向かい側にそれらしき古ぼけた店屋が一軒あるのみ。喜之床の建物も現在は明治村に 移築保存中とのことであった。

そこからさらに啄木終焉の地を訪ねようと西方へ数キロ歩く。「時代閉塞の現状」は昔も今も変わらず。啄木の歌のように「時代閉塞 の現状を奈何にせむ秋に入りてことに欺く思ふかな」とつぶやきつぶやき歩く。

小石川五丁目の交差点で右折したら小石川植物園に向かう桜並木の通りがあり、そこを少し行って左折した裏通り、五階建ての宇津木 マンションがそれで、マンションの壁に石川啄木終焉の地という看板プレートが埋め込まれてあった。肺病病みゆえに喜之床を追い出され た啄木はここに移り住んでからは病臥してただ死を待つばかりであった。その直前に母親の死もあった。青森から出てきた父親も思い余っ て家出してしまう。妻節子も啄木の後を追うように一年後にはかなく死んでいる。一軒家だったと言うが、どのような建物であったのか。 いずれにしても百年前にここでくりひろげられた啄木一家の暗黒と悲惨が思われた。

そこからさらに植物園方面へ歩くとプロレタリア作家徳永直の「太陽の無い街」で有名になった共同印刷の巨大な社屋と出会う。植物園 には入らず、千川通りを東方へ歩くと、やがて白山通りを横切って本郷地区に来る。そこで思いがけず一葉ゆかりの伊勢屋質店と出会い、 さらに推理を働かせて古い井戸のある一葉旧居跡や宮沢賢治間借り跡も見つけられた。戦災に焼け残った本郷界隈はレトロな雰囲気でいいな あと思う。

啄木は上野からの終電車に遅れた時は本郷まで歩いて帰ったと言う。その湯島切り通しにちなむ短歌もあり。上野駅に着いて改札口を入っ たらホームの手前、木の切り株の形をした歌碑に「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」の文字があった。自ら 「悲しき玩具」と称した短歌に啄木はふるさと岩手に寄せる万感の思いを込めた。母体につながるへその緒のような東北線(今は宇都宮線)、 その入口の駅頭に立てば、自分もいつしか啄木と同じ望郷の詩人になった気分がした。

栃木保険医新聞2011年8号・投稿