野口英世と小説「遠き落日」の世界を歩く

文ときり絵 天谷静雄(宇都宮市)


モットーは「目的、正直、忍耐

現代の人気作家渡辺淳一の小説には世界的細菌学者で医聖と仰がれた野口英世の伝記物がある。 それは『遠き落日』と言う小説であり、梅毒スピロヘータの分離培養成功や黄熱病の原因をめぐる 医学的議論の詳述など、医師でもある作家の力量が感じられる。後に映画化もされたが、こちらは 母親シカとの母子関係を軸にした青少年向けの教育的作品に終わっている。ひるがえって渡辺の小説 の方は野口英世の偉人伝に隠された負の部分も含めてその人間像を丸ごと描いたと言う。そこで、 今回はそのような文学的興味を持って猪苗代湖畔にある野口英世記念館を訪れてみた。

まず保存された生家を覗いて、生後1歳6か月で落ちて左手にやけどを負ったと言う囲炉裏などを感心 して見る。「志ヲ得ザレバ再ビ比地ヲ踏マズ」との床柱の刻字は大層ながら、立身出世を夢見て上京する 明治の青年の心境はみんなこんなものではなかったかと思う。庭先には「忍耐」の石碑あり。 英語で「正直は最良の方法である」それからフランス語で「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」との刻字があった。

記念館内のハイライトはやはりシカの手紙だ。たどたどしい文章の中に母親としての思いがにじんでいる。 「翁島明治45年1月23日」の消印あり、「はやくきてくたされ」の語句が7回くりかえしてある。 この後、英世の帰国がかなうのだが、故郷に錦を飾るとは言いながら、借金して多大な迷惑をかけた土地の 人々にはただ挨拶するだけでことを済ましている。この後の関西旅行で母親に孝養尽くした美談は有名ではあるが、 アル中で家の没落を早めた父親に対しては至極冷淡で、北海道の弟のところに追放を命じている。図版には翁島小での講演で、 モットーは「目的、正直、忍耐」とあった。

2階の展示室に行くと野口英世のロボットが5つの質問に答えるコーナーあり、まさに修学旅行生向けにうまくできている。 野口シカの等身大写真もあったが、意外と低身長だ。中田観音の刷り札の展示もあり、「中田観音を信仰していたシカは アメリカに渡った英世の為に中田観音のお札を毎年送りつづけました。」との説明書きがあった。

小説を読むと、英世は「正直、忍耐」のモットーとはうらはらに周囲に迷惑のかけ通しで、借金の踏み倒しや結婚詐欺まがいのこともやった。 いざ苦境に立たされた時に励まし支えてくれた教育者の小林先生や歯科医師の血脇守之助のような恩人がいた。同郷の医学生の山内ヨネ子には 勝手に片思いしてふられている。多額の金を融通してもらい、それを一夜で飲み食いに浪費という不始末も繰り返した。貧乏性だったので お金の使い方を知らなかったとは言うが、これは父親の血であろう。

偉人の誕生にはまさしく運命と言うか、左手のやけどが大きく関わっている。左手の手の手術は受けても軽く握れる程度になっただけで成功したとは 言い難い。そのコンプレックスが長く彼の心を支配し向学心と開拓者精神を燃え立たせるのである。母親シカの方も息子をかたわにした責任を感じて 献身と溺愛を続ける。医師にならず研究医になったのもこの左手が影響していると言う。

医術開業試験に受かったというだけで学閥のはざまに落ちこぼれた英世は自然、実力第一主義のアメリカに渡って業績を上げるしか無かった。 フレキスナー研究所に苦心して潜りこみ、蛇毒の研究で名を上げ、ついで細菌学、免疫学の研究へと進む。抜群の語学力を駆使して世界のメジャーにのし上がる。 とここまではよかったが、黄熱病研究で袋小路に陥り、アフリカはガーナの地において客死する。それは細菌学からウイルス学への過渡期のやむ得ない犠牲ではあった。

そもそも渡辺は自分が医大に入って細菌学の教科書を開いて見て、野口英世の名が記述されていないことに疑問と不満を抱いたと言う。そこから得る教訓は 時代を切り拓く科学者には栄光もあれば挫折もあると言うことだ。同時に野口の人生をたどって見てそこに男に生きざまを感じたとも言う。それはこういう 真面目な伝記物を書くと同時に「失楽園」のような不倫物も描く、両刀使いの作家の生きざまの反映でもあろうか。

ちなみに映画と小説には戊辰戦争で敗れた会津人の魂とも言うべきものが密かに語られているようだ。つまり立派な学者を出して中央を見返してやろうと言う人々の 共通の思いが、英世の負の部分を切り裂いて輝かしい偉人伝を作り上げたと言うべきではなかろうか。 そんなことを考えながら、会津若松方面へ走り、さらに西走して、丘陵地帯にある中田観音にたどりついた。残念ながら開扉日ではないので 本尊の銅造十一面観音像にはお目にかかれず。代わりに、堂内右手にある抱きつき柱に抱きついて祈ってきた。野口シカは世界的流行の スペイン風邪に倒れ、英世は遠い異国でその訃報を聞くばかりだった。シカは翁島から30キロの道のりを歩いてここに参ったと言うが、 その信心の篤さにはただただ驚くばかり。世紀の偉人を生んだ母子関係を思い、まさに母の恩は海よりも深いと思った。

栃木保険医新聞2013年新年号・投稿