蘆花恒春園にて、反骨の言論人・作家の面影を追う

文ときり絵 天谷静雄(宇都宮市)



上州伊香保温泉を訪れて徳富蘆花文学記念館に立ち寄ったことあり。 ここが蘆花の人生終焉の地となったと知って感慨深く、いつかその文学紀行エッセイを書こうと思って書けないでいた。 評伝を読みかえすとあまりにその人生が支離滅裂なのだ。そこで上京のついで、彼が晩年を過ごした世田谷区粕谷の地を 訪れればそのヒントが得られるかと思って立ち寄ってみた。

新宿駅から京王線に乗って9番目の駅が芦花公園駅だ。そこから南方へ一キロばかり歩くとうっそうとした森の中の蘆花恒春園にたどり着く。 そこで蘆花は明治40年2月、40歳の春にここに移り住み、尊敬するトルストイにならって「美的百姓」としての生活を始めたことを知る。

入館無料の記念館に入ると、そこには彼の日記や手紙、自筆原稿、愛用の品やスケッチ絵、石井鶴三の描いたデスマスク、 「不如帰」の浪子像、それから彼が特別に買い求めたと言う安重根の手形入りの書などがあった。安重根とは伊藤博文を暗殺した朝鮮独立運動の義士である。 その書には「貧而無諂 富而無驕」(ひんにしてへつらうことなし とんでおごることなし)とあった。

蘆花の本名は健次郎だ。熊本県水俣の庄屋の三男として生まれ、長兄に有名なジャーナリストの徳富蘇峰がいる。 賢兄愚弟とは言うが、兄への密かなコンプレックスと末弟の立場から常に弱いものびいきの性格が育くまれた。 長じて同志社に進みそこで洗礼受けてキリスト者となる。兄蘇峰の主宰する「国民新聞」に寄って健筆をふるい、 「不如帰」や「思出の記」などのベストセラー小説を発表した。しかしそれも新派演劇や青少年向け立志伝の域を出るものではなかった。 ちなみに小説「不如帰」は陸軍大将大山巌の長女信子の薄幸な人生をモデルに描いたものだ。人物描写は勧善懲悪的に過ぎるものの、 フェミニストとしての蘆花の真骨頂は示されている。

ここで注目したいのは「謀叛論」草稿だ。蘆花は明治44年大逆事件の報に接して被告たちの助命嘆願のために 「天皇陛下に願い奉る」と言う一文を新聞発表しようとした。しかし幸徳秋水らの死刑が既に執行されたことを知り、 その1週間後、旧制第一高等学校の会場で学生相手にこの演説をぶった。

草稿はそれほど長いものではない。「僕は武蔵野の片隅に住んでいる」と、豪徳寺に墓がある井伊直弼と 松陰神社に墓がある吉田松陰の話から始め、大逆事件にふれて「ただの賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為の志士である」と続ける。 そして「国政の要路に人物がいない」と嘆いた上で「諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。 自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ.新しいものは常に謀叛である。」と結んでいる。

惜しむらくは彼が根っからの天皇主義者で社会主義の知識も浅いことだ。 しかし蘆花のヒューマニストとしての面目はここに十二分に表れていると思う。当時は政府による言論、思想の自由の弾圧がはげしかった。 弁論部主催とは言え、この演説会開催を許可した責任をとって新渡戸稲造校長が処分をうけたくらいだ。 当時の文学者はほとんど口をつぐんでいる。啄木の評論「時代閉塞の現状」も未発表に終わっている。 公然と時代に批判の矢を放った蘆花の勇気に今は拍手を送りたい。

それから蘆花夫妻の過ごしたカヤぶき屋根の母屋と、離れである秋水書院と梅花書屋を見て回る。 秋水書院とはもちろん幸徳秋水に因んだ命名だ。ガラス戸越しに彼がその巨体を横たえたベッドにもなったという大テーブルを見た。 もう一つ、女中部屋にしていたという旧母屋ものぞく。ここには古いかまどや五右衛門風呂もあって彼らの素朴な暮らしぶりがうかがえた。

ここは昭和11年、蘆花の10周忌に当たり、愛子夫人が都に寄贈した際に蘆花恒春園と名づけられた。 蘆花は伊香保に滞在療養中、腎不全により60歳でこの世を去った。晩年は神秘主義に陥って文学的不毛に帰したが、 長生きすればひとかどの反戦主義者で通したかに思える。

東側に大きな自然石を建てた蘆花夫妻の墓あり。園の南側は花見のできる植物園になっているらしい。 かくも広大な土地を私有した蘆花はまさに「粕谷御殿」の主だなあと思う。そして蘆花の名前は近くの駅名や小学校や老人ホームにも冠せられていて、 まさに後世に名を残した巨人として羨ましい限りだなあと思う。

ところで文学史的にはあまり評価されていない蘆花だが、ここ粕谷の地で過ごした晴耕雨読の生活を描いた 「みゝずのたはこと」は日本の名随筆の一つに数えられている。そして京王線開通で純農村の生活が都市化の波に洗われていく様子が 描かれていて社会学的にも重要な文献となっていると言う。やがてその森を出て一つ手前の八幡山駅から帰ろうと歩き出したら、 すぐに環状八号線にぶつかる。そして蘆花がもし現代によみがえってこの車の混雑ぶりを見たら、さぞやびっくりして目を丸くするだろうと思われた。

栃木保険医新聞2013年8月号・投稿