阿波おどり・高松花火クルーズ

大根田紳(宇都宮市)



かの有名な徳島の踊りを一目見たいという願望から、私達夫婦は、船に乗るため、横浜港の大桟橋客船ターミナルを目指 した。それは8月11日だった。当日、午後4時に乗船すると、暫時で避難訓練があった。船は、午後5時にゆったりと出港した。 徳島の小松島港に接岸したのは、翌12日の午後2時。午後4時、夕食を早目にとり、バスで港から徳島市役所の前の方へ移動。 指定の観覧席へ午後5時半頃着席。私等の席は、番号が幸運にも最前列だった。

 

ベンチが鉄製で硬かったが、シアターではないのだから、我慢した。踊りは、午後6時からだが、時間になると世の習性で、 主催者側の関係団体役員のまとめ役や、市長・知事などの挨拶が10分以上も続いた。阿波おどりを直接に間近で鑑賞できたことは、 実に幸いであった。いくつものグループが参加していて、それぞれ特徴はあったが、私にはその個々を批判する知識はない。 その迫力には圧倒された。由緒は、阿波薄祖の蜂巣賀家政が徳島城を完成した際に、城下の町民が祝い酒に浮かれて踊りだしたのが始まりとか。 実際は江戸後期以降との説がある。阿波の名称がつけられたのは、昭和になってからとか。女おどりは優雅に艶っぽく上品に踊るのがよいとされ、 男おどりは所作も大きく豪快に時には滑稽に踊るものとされている。

『踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなにゃ損々』とは言うけれど、私など老齢の出る幕はない。見る阿呆に徹した。 お尻が痛いので少し早目に引き上げたが、バスで船に戻ったのは午後9時だった。船は午後十時半出港し、翌朝7時半高松港に入った。



8月13日のメインは、午後8時からの花火だが、それまで時間に空気があるので、倉敷の方に行くことにした。

そこには有名な大原美術館がある。20年ぐらい前に一回訪れたが、大原孫三郎の創設したものとのこと。“津”は伊勢で持つ、 と言うが倉敷はまさにこの美術館で持っているのである。当館の由未経験は、省略するが、先代の収集した世界の超一流の優れた作品は、 私達に感動を与えた。

現在でも日本を代表する西洋美術コレクションとなっている。国の重文になっている大原邸に寄り、近くの料亭で昼食をとってから、 帰船したのは午後4時過ぎだった。この際バスは往復とも瀬戸大橋を渡った。

夕食後午後7時半、船の12デッキ最前方に集まった。そこに指定花火観覧エリアがあるからである。しばらくの待ち時間の後、 午後8時とっぷり暗くなってから、花火がシューと橙色の光が上がってきたと思うと、どんと響きわたった。空一面に広がった。 花火の歌の通りである。時には下(海にある島)から数発ポンポンと跳ね上がってきた仕掛花火があった。 午後8時50分終了までの1時間足らずの間に、数千発が打ち上げられたのだった。

海岸を少し離れたところから打上げられた花火の余韻は、数分間とはいえ我々の心に衝動を与えた。  高松港に停泊していた船は、翌14日午前7時出港した。

一路横浜港へ。この日は夕刻、インフォーマルと言ってドレスアップが要求される。堅苦しいことは嫌いだが、 止むを得ずネクタイをつけ、妻も夜宴を改めた。船長と記念撮影する麗人ならぬノーマルな客人たちがいた。当方は、 うっかりして船長と会わずじまいだった。

15日午前10時、愈々横浜入港。

10デッキの客から順に下船した。早速、横浜桜木町駅行きと、東京八重洲口行きとに別れてバスに乗り込んだ。 私達は東京行きの方に乗り帰途についた。

栃木保険医新聞2014年9月号