深まる秋の安曇野紀行

宇都宮市・天谷静雄



豊科インターから高速道を下り目的地の碌山美術館についたのは九時過ぎ。JR大糸線踏切り近くの雑木林の中に小さなチャペルの形をした美術館がある。 正面は色づいた蔦に覆われており如何にも秋らしい。館内に足を踏み入れると二列十一点の作品が並んでおり、後列中央に問題の「女」の像あり。なるほどひ ざまづいて伸び上がった姿に封建的な呪縛から抜け出そうともだえ苦しみ天上世界に憧れる女の悲哀というものが感じられて秀逸な作品だ。

解説写真からこの作品が荻原守衛の死ぬ一カ月前に作られた絶筆ならぬ「絶作」であることを知る。モデルは別人だが女の顔は彼が密かに思いを寄せた人妻、 相馬良の顔に生き写しだとのこと。これは本で読んで知ったことでそれらしき解説も無いが、スケッチの一枚、子供を抱いた母親のスケッチにまたまた相馬良の 面影を見つけた。

守衛の肖像写真が見下ろす館内は明治の雰囲気をそこはかとなく伝えていていつまでもそこに居たい気がする。庭に出てからもベンチに座して美術館を包む秋 景色を見て至福の時に浸る。そして人妻への恋心を芸術に「昇華」させた夭折の彫刻家の人生を思いやった。ミュージアムで記念に「碌山の鐘」を買ったが、妻に 「寝たきりになったらこれで合図して」と冗談を言われた。

それから駅近くにある穂高神社を参拝。海から上がってきた安曇族の歴史ロマンを伝えていて如何にも神さびた雰囲気の境内だ。御船会館に入って道祖神のビデ オを観たり、この神社の行事である御船祭や遷宮祭の展示を見たりする。境内では秋風の軌跡を描くように次々舞い散る木の葉。その下で若い父親に付き添われた 七五三参りの黄色い晴れ着の少女がくるくる舞い踊る姿がほほえましく絵になっていた。

それから神社の東方、犀川のほとりにある大王わさび農場へ行って散策。用水路にかけられた水車が「キ・ウイー」とトンビの声に似て鳴くのが面白い。近くに 本物のトンビもいる。残念ながら雲に包まれて北アルプスの峰々の眺望はきかず、吹きまくる風はあくまで冷たかった。場内で美味しい信州そばを食べ、お土産にわ さび味の効いた野沢菜を買ったがこれがまた美味かった。わさび加工所に座って作業する老婆の科顔には無数のしわが刻まれていて、ああこれも絵になると思った。

レンタサイクルで道祖神巡りをしているご婦人たちを見かけて我々もと言ったが、自転車の苦手な妻に拒否される。やむをえず妻の希望容れて十数キロ北の松川村 にある安曇野ちひろ美術館へと走った。行って見ると、こんな辺鄙な所にと思うくらいに参観客が多く、絵本画家岩崎ちひろのファンの層の厚さゆえかと驚かされた。 甘ったるい子ども絵には食傷気味の私は走り見したが、妻は熱心に見回っている。年譜を見ていて共産党松本善明代議士の妻という経歴ながら、戦時中、最初の夫の 自殺に会い失意の日々を送ったという下りには注目させられた。再度、展示作品に見入ると保育園検診の際のあどけない子どもたちの顔が思い出された。にじみぼか しの技術の駆使をはじめ子どもの世界を活写した画家の力量が感じられた。

道中、町のあちこちに「わさびや」を見つけた。実はその日は合併後の「安曇野市」誕生で市長選、市議選を同時にやっており町中が騒然としていた。かねて想像 していたよりも市街化が進んでいて興ざめな部分もあったが、道祖神のお導きで愛と芸術の関係を考え楽しく有意義に過ごせた。また来ようと思った。

栃木保険医新聞2006年11月号・投稿