新宿・中村屋サロン美術館を訪ねて

文ときり絵 天谷静雄(宇都宮市)



 新宿中村屋ビルの3Fに中村屋サロン美術館がオープンとのことで立寄ってみた。小さなスペースながら、そこには荻原碌山作の「女」を中心に、中村屋サロンに 集った芸術家たちの絵や彫刻がずらり並んでいて圧巻だ。

 冒頭には長尾杢太郎作の油絵「亀戸風景」があり、運河のそばに牛がつながれている絵だ。仙台出身の星良が信州穂高村の相馬家に嫁ぐ際に嫁入り道具として持って 来たと言う代物である。この絵を見て地元の守衛青年、のちの荻原碌山が画家を志し、アメリカからパリに渡ってからはロダンの「考える人」を見て感激し、彫刻家に転身した。 そう言ういわく因縁のある絵であった。

 信州穂高村から出てきた相馬愛蔵・良夫妻は東大前でパン屋を始めて成功し、やがて新宿中村屋を中心に文士・芸術家たちが集う一大サロンを形成する。 そこの女主人は仙台出身の才媛の良であり、ペンネームを黒光と号した。碌山は新宿のアトリエに移り住んでからは毎日、この中村屋にしげしげと通い、店を手伝ったり、 子どもの世話を買って出たりする。相馬夫妻と碌山の三角関係は有名だが、子どもも仕事もある黒光は碌山の求愛を拒み、ついに碌山を若死にさせてしまった。

 碌山の「女」の像はひざまづいて両手を縛られたように後ろに回し、顔は仰向かせて天上世界に憬れている姿である。この作品は荻原守衛の死ぬ一ヶ月前に 作られた「絶作」であり、モデルは別人だが、その顔は黒光に似せていると言う。ロダンの影響を受けた碌山の記念碑的作品と言えよう。その像の前にしばし佇んで、 人妻への恋心を芸術に昇華させた哀しい彫刻家の人生を思いやった。そばに萩原守衛の追悼会の時の集合写真もあり。最前列左はじの黒光の顔は動いて定かならず。 わざとそうしたのであろうか。碌山と黒光の浅くない秘密の関係をそこにふと感じる。

 さらにここ中村屋サロンに集った戸張孤雁、柳敬助、斉藤与里、高村光太郎らの自画像も並んでいて圧巻だ。注目すべきは中村彝の描いた「少女」像であり、 これは相馬家の長女の俊子の健康美を描いている。俊子は中村から求愛されるが中村が病弱なのを理由に断り、のちにインド独立運動の闘士ボースに嫁して若死にを遂げた。 ほかに鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」の絵もあった。

 その他、中村屋は多くの外国人をかくまい雇い、その知識から店の商品を新開発して発展を続けた。木下尚江など左翼ばかりか頭山満など右翼の大物との付き合いもあり。 臼井吉見の小説『安曇野』にも記された黒光の活躍には頭が下がるものあり、小説と照らし合わせて興味深い見学とはなった。

 最後に、碌山と黒光の関係についてふりかえって見よう。碌山は明治43年4月20日の夜、相馬家の茶の間で雑談中、突然喀血して倒れ、22日未明に、30歳で永眠した。 死因についてはさまざまな憶測あり。高村光太郎は、放蕩男の夫の梅毒が黒光を介してうつされたためだとしている。しかし梅毒と喀血とがどう結びつくのか、 そもそも良との間に性交渉があったとも思われない。もともと心臓が弱く農業への道を諦めたのだが、それまで結核の兆候があったわけでもない。 碌山の死因はいぜん謎に包まれていると言わなければならない。

 ところで、息を引きとる直前、碌山は人目を偲んで黒光に一つだけ重要な頼みごとをして、机の引き出しの合鍵を手渡したと言う。黒光自伝の『黙移』には碌山の死後、 戸張孤雁とアトリエの始末整理中、机の抽出しから小さな生活記録をつけたノートを見つけ出し、故人の遺言通り、一行も読まず、ストーブの火で焼いた、それを見て孤雁が 「イブゼンのヘダガブラだ」と泣きわめいたと言う下りがある。

 一方、臼井吉見の『安曇野』では、ノートに書かれてあったはずの記録をわざと再現して見せている。すなわち、良の愛息の看病中、「シスターは、昨夜だってジョージの 枕もとで僕の抱擁を受け容れたばかりか、口づけさへ許してくれた」とあり。手紙を焼く時に孤雁は「シスター!何をするのだ。何を?」と見とがめて叫び、「ヘッダ・ガブラだ! シスター、君はヘッダ・ガブラ―だよ」と罵り、すすり泣いたとの記述あり。

 ちなみにこのヘッダ・ガブラとは、イプセンの戯曲中のヒロインであり、自己中心的で夫と愛人とを別々に愛し、虚栄心からその愛人の心血注いだ論文を火にくべるような 性悪女のことだ。中村屋サロンの女主人公である黒光にはいつしかそのような男を手玉にとる悪女のレッテルが貼られてしまっていたものらしい。

 夫の愛蔵の方は鷹揚な性格で、そういう妻と碌山の関係を見て見ぬふりをしていた。実は愛蔵自身も信州実家滞在の際に隠し妻を持っており、そのことを知った碌山の同情は いつしか人妻への恋心に変わってしまったものらしい。その後、夫婦の間には大戦を経て艱難辛苦、紆余曲折の人生があり。女実業家としての黒光は何があろうと本業に精進して 今日の中村屋発展の基礎を築いた。かつて信州安曇野で見た「女」の像がダブって見えると共に、安曇野の清冽な流れがここにも来ていると感じた。

栃木保険医新聞2020年8月号・投稿