惜春の信州松本路紀行

宇都宮市・天谷静雄



リュック背負って下り立った松本駅前はさすがに空気のうまい所だと思った。汗をかきかき歩いた末、「あがたの森」内にある信州大寮に臨泊した。学生ゼミの最終日には美ヶ原で キャンプファイヤーの予定あり。夜間歩行の途中、雷雨に会って逃げ帰り、翌朝浅間温泉に入湯して帰った。そのような三十数年前の思い出がいま走馬灯のようによみがえる。

眼下に広がる松本平とその上に白雲たなびくかと見まがう北アルプスの峰々。ああ遂にたどり着いた。ここは美ヶ原高原の西はずれにある王ヶ鼻という断崖の突端だ。北杜夫の作品 にはたびたび登場する。主人公が一人瞑想に耽り、あるいは性的な幻想に浸るといった聖地でもある。敗戦後の空腹と虚無感にとらわれた青年は頻回に山に登り、自然と一体の境地に包 まれる中で生きる意志を回復する。「旧制高校の魔力」によって文学に目覚め、とりわけトーマス・マンに憧れた作家北杜夫にとって信州の山々はまさに「魔の山」的な存在であった。 その北杜夫が「第二のふるさと」と称する信州松本は私にとっては「第三のふるさと」と言えるのかも知れない。妻と二人、そこからさらに頂上の王ヶ頭までてくてく歩き、富士、乗鞍、 浅間山など四方の眺望を楽しんできた。残雪の中、一斉に芽をふいた落葉松林。鶯の声。標高二千メートルの高原台地であるここはまさに天国に近い所だと思った。

さて次は下界に下って国宝松本城や開智学校を見学する。観光客のひしめき合う松本城には入場できなかったが、それでも黒装束の野武士のような古城と再会できただけで感激であった。 それから城の南へ抜けて北杜夫が酔っ払ってひっくり返ったという女鳥羽川沿いの縄手通りを歩き、さらに大正ロマン漂う中町通りを歩いて昼食をとったり、コーヒーを飲んできたりした。 バタ臭い仮設店舗の並ぶ縄手通りは若者受けする町らしく、かつて女鳥羽川に河鹿蛙が鳴いていたことにちなんで「かえる」がイメージキャラクターになっている。「かえる」の像やら祠やら あり、6月には「かえるまつり」も開催予定とのことで何だか嬉しくなった。

それからヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森」公園に来て、旧制高等学校記念館に入館した。やはり松本高校の紹介が主で、分かりやすい写真パネルが並び、落書きと万年床のある思誠寮の 一室も復元されていて面白い。残念ながらここに三棟あった寮の建物は昭和58年に取り壊されてすでに無いとのこと。三階はゆかりの文学者の紹介フロアになっており、最後に登場はやはり北杜夫 だった。「どくとるマンボウ青春記」のあらすじを思い出し、ここで展開された愉快な青春の日々を思った。そこに北杜夫が応募して入選した寮歌の歌詞も掲示されているが、何だか感傷的に過 ぎる詩だ。「萌えいづる落葉松の芽に」という文句に高原で見た情景が思い出された。「父より大馬鹿者と来書あり、さもあらばあれ常のごとくに布団にもぐる」との短歌色紙も。父とはもちろん 斎藤茂吉のことだ。東側の元グランドは市民の憩う公園にもなっているが、そこからは突こつとした王ヶ鼻がよく見える。松高生はこの突こつとした岩山を日々ながめながらグランドを駆け回って いたのかと思う。

さて松本を去ろうという段になって、どうしてもこだわり続けた最期の目的地に行った。それは公園の南方を東西に流れる薄川にかかる一本の橋であり、「みはらし橋」と称する。張出しのつい た洒落た歩行者専用橋で、たもとに双体道祖神の飾りがついている。実は平成8年から10年間にわたり連作放映され人気を博した青春ドラマ「白線流し」のロケがこの橋の下でしばしば行われたので あった。「みはらし橋」と言うだけに、そこからは正面に堂々たる王ヶ鼻が、そして振り返れば青く染まった北アルプスのシルエットが、常念岳が、その左肩の上には槍ヶ岳の穂先が望まれた。川の 流れに白線を浮かべて自らの春を見送った若者たちももうここにはいない。青空が、川の流れがまぶしいと思うのは中年男の感傷か。おお青春よ、熱き血潮よ、よみがえれ!

栃木保険医新聞2007年4月号・投稿